これほどまでに勉強に没頭した動機は何だったのでしょうか。
「動機は実に簡単で、自分に挑もうとするチャレンジ精神だったと思います。必ずしも猛勉強したわけではありません。毎日時間があれば辞書に目を通していただけで、全ての言葉を暗記したというわけではありません。ただ、少なくとも言葉の印象を残しておくのは大切だと思っていました」
柯さんの言葉は控えめですが、ずっしり重い辞書は、どこをめくってみてもメモ書きをしていたあとがありました。
日本に渡ってから一年半後、柯さんは慶応義塾大学、日本大学、中央大学、明治大学等を受験して、そのすべてに合格しました。そして最終的に入学先として選んだのは慶応義塾大学の商学部でした。
結果的に一年半の受験勉強が実ったわけですが、受験の準備をしながら得た貴重な経験は、その後も、柯さんが様々な場面に対応する際の大切な心の支えになったそうです。何事にもへこたれない“負けず嫌い”と“真面目さ”は成功へのキーワードになりました。
柯さんは、もともとの専攻は工学でした。しかし、同期の留学生達よりも一足先に受験の準備をしようと日本語学校に入学した時から、工学から商学への転向を決めました。商学を選んだのは、日本社会の趨勢を分析した結果と、今後、国際的に主流になる学問だと感じたからでした。
1980年代から日本経済はピークに達していましたが、当時日本にいた柯さんはその波を身をもって感じていました。そこで大学では商学部で学びたいと希望をしたのです。
当時、柯さんに強く影響を与えた一冊の本の存在がありました。1979年、アメリカのハーバード大学が出版した、同大学教授・Ezral
F.Vogal氏の執筆による“Japan as Number one, Lessons for America”です。
この本のタイトルと内容は、当時、国際的に注目を集めました。アメリカの学界と企業界は、こぞって“なぜ日本経済が強いのか”について研究を始めていました。この本を読んだ柯さんは、著者の熱心な研究と分析に深く感じ入り、一層、日本の商学部に身を置く決心をかためることになりました。
大志を抱いて大学に入学した柯さんでしたが、それまで日本語の勉強をしっかりやってきたといっても、それは大学の授業のレベルとは違っていました。慶応大学では、40〜50人のクラスで留学生は柯さん一人です。専門知識が溢れる授業についていくことは、しばらくは苦闘の連続だったようです。
柯さんは、授業を理解するために日々、自分で努力する一方で、日本人の同級生にためらわず教えてもらうのも良い方法だと考えていました。そこで当時、仲良くしていた同級生の辻丸 俊彦さん、細かく質問しながら授業の理解を助けてもらいました。その過程で、柯さんと辻丸さんとの間には固い友情が育まれていきました。
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