弱冠45歳でコダックホテルグループの二代目総経理に就任した柯孫達さんは、台湾のビジネスホテル業界で注目の存在です。
柯さんは慶応義塾大学商学部を卒業し、同大学大学院にて商学修士号を取得、その後、日本の電機産業の大手企業・日立(Hitachi)に入社しました。留学から11年後、日本での実績と経験を携えて帰国した柯さんは、ビジネスホテルの経営に乗り出しました。
柯さんは、これまで大学で身につけた経営管理知識や職場で受けた訓練を活かして、家業の一つであるホテル事業の発展を積極的に推進してきました。その結果、1999年から2002年までのわずか4年間で、4つのホテルチェーンを台北、台中、基隆にオープンさせました(現在は6店)。高品質なサービスの提供と安定した経営手法は、業界において高い評価を受けています。
その柯さんは、日本で、どのような学生生活を送ったのでしょうか。
柯さんが日本へ留学したのは1981年でした。まず早稲田大学の日本語別科に通い始めたのですが、柯さんは「もっと勉強したい」という強い思いから、他の日本語学校にも通うほど熱心に勉強をしたそうです。日本語学校では、台湾からの留学生が何人もいたので、他の留学生は授業終了後も集団で一緒に時間を過ごすことが一般的でした。しかし、柯さんは一人で勉強したりして過ごすことが多かったそうです。
当時、日本のプロ野球界で郭源治さんが活躍していました。もともとスポーツ好きだった柯さんは、引き付けられるように野球関連の情報を熱心にフォローするようになりました。家ではスポーツニュースをチェックし、テレビの野球中継がある時には観戦を楽しみました。野球中継は、日本語を聞き取る絶好の訓練でした。柯さんは、分からない言葉がでてくればすぐに辞書を調べる熱心さで日本語に没頭しました。こうした趣味を活用した学習方法によって、柯さんの日本語能力は飛躍的に進歩していったのです。
柯さんは、日本に留学した直後のことをこのように振り返ります。
「私の強みは、他の人よりも早く将来の計画を立てたことだと思います。私の場合は進路については一流の大学に入るという目標を早くから設定していましたが、日本語の学習に力が入ったのは、そういう明確な計画があったからでした。私は、自分自身に何が足りないのかもよく分かっていましたから、しばらくの期間、遊ぶ時間を犠牲にしてでも、学習の進度を自分でしっかりコントロールすることに重点を置いていました」
柯さんには、今でも大切にしている辞書があります。日本に留学して最初に買った辞書で、日本語学校時代から常に柯さんの傍らにその辞書がありました。大学に入って最初の夏休みには、その辞書の最初から最後まで読み覚えたそうです。
一見するときれいな辞書のように見えますが、赤い革製の表紙に刻み込まれた金箔の文字は、かすれて消えていました。辞書を開いてみると、指でめくった跡もあちこちに残っており、柯さんが頻繁にこの辞書を使った努力の歳月が刻み込まれているようでした。
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