−留学して2年後に、商学修士を取得されましたね。
はい。修士号を取得するまではとても順調だったのですが、修士をとってからが大変でした。私が博士号を取得したのは、それから何年後だと思いますか? 昭和61年ですから、修士号取得してから20年後のことです。20年たってやっと、先生は私に博士号を下さいました。本当に厳しい先生でしょう(笑)。
−そうしますと、20年間、台湾に戻ってからもずっと論文を提出され続けていたのですか?
ええ。修士号を取得後の3年間は、引き続き慶應の商学研究科博士課程で勉強をし、単位を全て取って無事に課程を修了することができました。しかし、なかなか博士号を取得するまでにはいたらなかったため、やむを得ず、台湾に戻ることを決意したのです。
しかし、帰国後も、定期的にレポートを提出し続けました。その結果、私の論文は本当に持ちきれないぐらいたまりました(笑)。努力が20年目にやっと実って、先生が、「では、東京で試験をしましょう」とおっしゃって下さったのです。そのとき、私はもう50歳になっていました!(笑)。
考えてみれば、私も意志が強かったんですね。「博士号を取るぞ」と心に決めて、毎年毎年、先生にレポートを提出していたのですから。20年かかって博士号を取得できることになり、私は当時の商学部長の清水教授に挨拶に行きました。
そうすると、清水教授は2つのことを私におっしゃいました。1つは、「なぜこんなに遅く貴方に博士号を与えたのかというと、貴方が“テストケース”だったからです」とおっしゃいました。
その時まで知らなかったのですが、慶応義塾大学は、それまで台湾留学生にはまだ1人も商学博士を授与していなかったのです。つまり、私が慶應台湾留学生初の商学博士で、清水先生は、「君が“ザ・ファースト”(最初)ですよ」と教えて下さったのです。
そして2つ目には、「以後、台湾留学生の後輩たちには、このような長い期間をかけずして、博士号を与えられるようになるでしょう」とおっしゃいました。実際、私の後輩は、7年で商学博士を取得しました。私は20年ですから、私の三分の一ですね(笑)。
たしかに時間はかかりましたが、慶應で初めて台湾出身の商学博士になったことで感慨もひとしおでしたし、自分の努力が、台湾の後輩に良い道筋をつけることができたとするならば、大変嬉しいことだと思いました。
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<学位記:左、修士号(S41年) 右 博士号(S61年)> |
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