塾員 in 台湾
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―台湾に赴任される前と後では、台湾の印象はどのように変化したでしょうか。

 メイフラワー号に乗った人々がイギリスからアメリカに移住したのが1620年です。台湾に漢民族が移民し始めたのもこれと同じ時期なのですが、400年近い歴史を経て、アメリカ人にはアメリカ人としてのアイデンティティがしっかりあるのに対して台湾にはそれがないように思います。

アメリカでは白人、黒人、インディアン、ヒスパニックといった人種の軋轢を克服しているのに、率直なところ、台湾では、本省人、外省人、原住民の間のわだかまりが消えていないようです。「自分たちは中国人であって台湾人ではない」という人もいれば、「自分たちは台湾人であって中国人ではない」という人もいます。

何ともハッキリしないのが台湾だというのが、台湾に来る前の印象でした。また、台湾の戦後史を日本語で知ろうとすると、必然的に白色テロの話や台湾独立という政治問題ばかりが話題の中心になります。その点では赴任する時は、非常に重たい気分でした。

しかし、実際に台湾に来てみると、人々は明るく親切で、食事や果物は美味しいし、お酒もたくさん飲んで、仕事や経済の話はどこかに飛んでしまって、グルメと観光ばかりが目に付くようになりました。

 赴任が決まってから実際に着任するまで時間が短かかったので、生活や余暇について考える余裕がなかったのですが、赴任後の印象は「楽しい」の一言です。

台湾に来て驚いたのは、台湾のテレビチャンネル数、特にニュース専門番組の多さや、新聞記事の多さと内容の面白さです。これには度肝を抜かれてしまいました(笑)。
 何でも構わず報道する迫力ですね。これほど報道や言論の自由が許されている国はないと感動しました。日本の新聞はどれも内容は大同小異でオリジナリティがあまり感じられませんが、台湾の新聞にはそれぞれにはっきりした味があります。
 日本では書かれないような、例えば当事者の氏名なども、どんどんと報道しますからね。カルチャーショックを受けると同時に、いっぺんに台湾が好きになりました(笑)。



―慶應大学時代の思い出についてお聞かせください。

何しろ中等部、塾高時代の6年間はまともに勉強していませんでしたから、大学に入ってから最初のうちは、落第しないように勉強も必死でした。
 数学が嫌いだったので、経済学部ではなくて理工学部のV系(化学系)に進学したつもりでした。ところが、理工学部の教養課程の数学は、物理系も数学系も化学系も一緒で、大学一年のとき履修する数学Uの単位を落としたりと、相当悪戦苦闘しました。

高校受験も大学受験もなく、就職後は「親方日の丸」の公務員で比較的に順風満帆で安直な人生を送っていると自負しているのですが、これまでの人生で最も危機感と緊張感に満ちた日々を送ったのが大学時代でした(笑)。

ただ、勉強ばかりではなくてサークル活動も楽しみました。塾高時代の友人と入ったジャーナリズム研究会では、当時人気のあった映画情報誌「ぴあ」をもじって「けあ」とネーミングしたサークルの転部情報と一般教養の履修情報を紹介する雑誌を作って大学生協で売り出しました。多いときで1000部以上も売れたのが、楽しい思い出になっています。
 一般教養の単位の取りやすさを知人友人にアンケート調査して評価した情報誌だったので、多くの学生が買ってくれたんでしょうが、私の卒業間際にある教授からのクレームがついて大学生協での販売ができなくなったために、ガクッと部数が落ち込みました。
 その後どうなったかと思っていましたが、インターネットで調べたら、今でも「科目案内けあ」という名前で残っていて、国会図書館にも寄贈されているそうです。

ほかにも、バンドのサークルに入っていました。バンド名は「きみちゃんず」です。当時アイドルだった松田聖子と中森明菜の曲を中心にしたコピーバンドで、ベースを弾いていました。
 このときに音感を鍛えたのが幸いしたのでしょうか。台湾に来てからは、蕭亞軒、蔡依林、張恵妹などの女性ボーカルの曲をカラオケで練習して、中国語の習得に大いに役立っています。




 −日々、台湾の生活をどのように楽しんでいらっしゃいますか。木村さん流、台湾の楽しみ方のコツをぜひ教えてください。

小さい頃から、私の夢は仙人になることだったので(笑)、中国語圏での生活には憧れをもっていました。仙人になろうと思っていましたから、私の趣味はかなり風変わりです。

まず、歩くのが好きで、それも常識的な距離ではありません。台湾に来てから3箇月ほどで、MRT各線の終点駅までの道のりを全て歩いて走破しました。例えば、ある時は淡水駅から北投駅まで歩き、別の日には北投駅から明徳駅まで歩くという方法で、MRT各駅周辺の観光スポットに足を運んだので、MRT沿線の地理については相当詳しくなりました。

そのなかには車道だけで歩道がない区間もあって、相当危険な思いもしましたので、皆さんはマネをしない方が良いと思います(笑)。

それから、赴任当初の1年くらいは日本から友人が遊びに来ることも多かったので、観光ガイドに出ているスポットには事前に下見に出かけました。台北周辺で主要なところは全て見て回りました。私は夜市巡りも大好きなので、台北市内だけではなく、バスや電車に乗って三重や中和の夜市にも出没しました。

 ただ、SARS以降、日本からの友人が減ったので、最近は週末になると、信義路付近の四獣山、景美駅付近の仙跡岩、陽明大学付近の軍艦岩などのハイキングコースを歩いてみたり、天母や新北投の温泉に行ったり、仙人を目指して山野を踏破する生活をしています(笑)。

台湾生活も3年目に入って、バスや電車で行ける場所は大方行ってしまったので、そろそろ車かバイクの免許を取って、今まで行っていないところにも行ってみたいと思っています。

台湾独特の料理も楽しみの一つなのですが、私は、特に辛いものと冷たいものが大好きなのです。そこで、麻辣臭豆腐、香腸、ゆでダコやイカのとろみスープといった屋台料理を食べてから、愛玉、豆花、刀削氷、イチゴかき氷などを味わって楽しんでいます。ワサビを山盛りにしてくれる台湾流の刺身の盛りつけも、日本に帰ったら味わえないのかと思うと寂しいですね。


山登り(軍艦山)

               
                    
 

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