−現在のお仕事についてご紹介ください。
財団法人交流協会台北事務所の経済部主任というのが肩書きです。おもに台湾での知的財産権問題についての調査、研究、相談や交渉などをしています。
ご存じのように、1972年の日中国交正常化と同時に、日本と台湾のあいだの国交関係は断絶してしまいました。その結果、台湾域内には、大使館を初めとする一切の日本政府関連機関が設置されなくなりました。しかし一方で、日台間には人的交流や貿易経済などの面で非常に密接な関係が継続していましたから、そうした民間レベルでの交流を維持、発展させるために設立されたのが財団法人交流協会です。
交流協会を実質的な日本国大使館と評される向きもありますが、れっきとした民間団体です。ですから私も公務員の職を休職して民間人として出向しています。
それまで仕事で海外に行く時は、必ず緑色の公用旅券か茶色の外交旅券というパスポートを携帯したのですが、今回は、プライベートで使っていた赤色の一般旅券での赴任になりました。
そんなこともあって、着任時のフライトでは、仕事でありながらまるでバカンス旅行のように感じたり、本当に大丈夫なのかという不安な気分に襲われました。今ではすっかりそうした違和感はなくなりましたけれど。
おまけに、お恥ずかしい話なのですが、実は赴任を命じられるまで交流協会について具体的なことは全く知らなかったのです。経済産業省の所管団体ということで名前は聞いたことがあったのですが、てっきり電気の交流と直流の交流のことだと思いこんでいました。ですから電力エネルギー関係の団体だと思っていました(笑)。
英語の名称が「インターチェンジ・アソシエーション」なので、これからは高速道路のインターチェンジのことを連想して、高速道路建設の技術交流をする国際的な団体だと思ったほどです。
私は、台湾に赴任するまで、経済産業省の特許庁で主として特許出願の審査業務に携わっていました。こうした経験から、特許、商標、著作権といった知的財産権の制度や実務について専門的な知識が、台湾赴任の直接的な理由になったようです。
2002年1月に台湾がWTOに加盟したのを機に、台湾における知的財産権制度の整備状況や海賊版、模倣品などの知的財産権の侵害状況について調査分析をするため、2002年7月から3年間の予定で派遣されました。特許庁としては、新設のポストです。私は理工学部出身ですから、大学での専攻とはかなり縁遠い仕事内容ですね(笑)。
−木村さんは、現在の日台交流の現状と今後の課題をどのように感じていらっしゃいますか。
何しろ、日本政府としては台湾を国家として承認していないので、私自身も文章を書くときなどは「日台両国」とか「台湾国内」という言葉は使えません。
かならず、「日台双方」とか「台湾域内」という言葉に言い換えなければならないという問題があります。台湾は、地理的には日本から最も近いのに、政治的には高いハードルがあることは否めません。
こうした背景があるため、私の赴任が決まった時点では、日本の公務員で台湾に出張できるレベルは課長補佐クラスまでという制約がありました。不謹慎なのですが、いわゆる「偉い官職」の人は日本から来ないし、出張者の頻度や人数も他の国の在外公館に比べれば格段に少ないと聞いていましたので、かなり気楽な海外勤務だと思っておりました(笑)。そうした手配や世話の必要がないですから。
しかし実際に赴任してみると、台湾のWTO加盟やAPEC参加によって状況は一変しました。私の着任後から、出張者のレベルが徐々にランクアップして、初の課長級、指定職級の来台が実現するなど、日台交流の観点からは非常に喜ばしい状況へと改善されてきました。
とはいえ、中国の目覚ましい経済発展を前に、日台間の経済関係の絆の強さは反対に薄れつつあるように見えます。「一つの中国」という国是では、なかなか大きな成果が出せないというのがもどかしいところです。
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