そうですね、一番変わったのは、女性のファッションでしょう。赴任した当時は、今のように多くのブランドはなくて、主流だったのがエスプリや、香港系で、欧米や日本のものはほとんどありませんでした。
今でこそファッション雑誌と変わらない服装になりましたが、1990年頃、街の中でよく見かけたのが、上下スウェットを着た若い女の子でした。特に運動をしている最中でもないのですが(笑)。
女性のファッションは格段に洗練されてきましたが、それに比べて、台湾では男性のファッションは、なかなか進まないですね。台湾に着任した当時は、銀行でもネクタイをしている人が少なかった記憶があります。
13年前はまだ地下鉄が開通していませんから、オートバイは今よりもはるかにたくさん通っていました。そのため道路はいつも交通渋滞でした。通勤時間帯は、オートバイの洪水でした。朝の7時半に天母にある家を出て、南西店まで着くのに1時間半はかかりました。
なんと、冷房が入っているバスと冷房が入っていないバスとでは、乗車料金が違って冷房車は少々高かったんですよ。冷房車のバスには、前方に「このバスは冷房入りです」と書いてあるんです。冷房入りのバスを選んで乗らないと、暑くて大変でした。
当時は喫茶店がほとんどなくて、100メートル四方に2件ぐらいでした。食後にコーヒーを飲む習慣がある私にとっては、昼休み時間内で飲みに行ける喫茶店が限られてしまったのが、少々残念でした。 |
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南西店の入り口にて。 台湾でもやはり、
三越の入り口にはライオンが・・ |
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