留学先を慶応義塾大学に決めた理由と、在学中の思い出をお教え下さい。
日本へ留学したのは70年代の初頭で、当時、台湾の郷紳トップは慶応出身の先輩がかなりの数を占めました。その影響で、慶応に憧れ入学を出願したところ、見事に合格することができました。
大学在学中の70年代半ばまで台湾は戒厳令下にありました。慶応に入学したあとさっそく三田の図書館の書庫に入り込んで、当時台湾で禁じられた本を結構読みました。尚、当時両国所得差及び日本円レートの切り上げ(ドル360→308)により、単に仕送りで滞在費を賄かうことは無理でしたので、夏休みは工場で重労動アルバイトもしました。辛かったが、とても楽しい思い出になりました。
現在のお仕事をご紹介下さい。
帰国後、どのように日本語の能力を維持し、レベルアップさせておられますか。
卒業後最初の十年位は日本の商社に勤めていました。その後独立し、25年前に今の会社を作りました。現在は主に対日貿易を行っています。仕事上はずっと日本語を使用していますので、日本語は学生時代より上手になったと思います。日本語の能力を維持するため、卒業後ずっと日本の新聞《日本経済新聞》を購読していますので、現代日本語(外来語、新造語)もある程度を習得しました。
日本(及び台湾)の良いところ、魅力はどのようなところだと思われますか。
また、台湾と日本は、今後、どのようなお付き合いをしていけばよいとお考えでしょうか。
日本の自然風景の美しさは言うまでもありませんが、個人の観察で総人口一億以上の国で九割の国民を中流生活にさせたのは素晴らしいことです。このことは、人類の歴史上の出来事として位置付けられると思います。これが日本の本当の魅力だと信じております。台湾は常夏の国で、生活がし易い国だと思っています。
日本と台湾については、現代化の過程で、タイム・ラッグがあるにもかかわらず、「一衣帯水」の隣国であることを十分認識して、お互いに尊重しあいながら、末長く付き合いあっていくべきと思います。
台湾南部で、会員の皆さんにお薦めしたい場所をご紹介下さい。
高雄市内の「愛河」沿い、特に夜のライトアップがとってもきれいです。友人を誘ってコーヒー一杯を飲めば、最高です。(写真)
台湾の人たちにとって、今の慶応義塾大学は、どのようなイメージにうつっていますか。これからの慶応義塾に望むことはございますか。
30年前まで、慶応は坊ちゃん学校とのイメージが圧倒的でした。しかし、時代に伴って、台湾に於けるイメージは変わりつつあります。一流私立大学で校風はリベラル。目下、台湾人の留学先はアメリカ一辺倒なので、日本へ留学を誘致するため、もっと台湾留学生の枠を増やすべきと思います。
座右の銘、愛読書がありましたらお教え下さい。
加藤咄堂:菜根譚講話。禅語が溢れるので、人生を悟るに助言が多いこと。
台湾三田会の会員にひと言メッセージをお願い致します。
「人生は全て出逢う」ので、三田会の連帯関係を大事にしてください。
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