台湾小松電子材料有限公司
営業處 處長
 朝枝 伸 氏 
(昭和53年 商学部卒)



  現在のお仕事についてご紹介下さい。

私は現在 台湾小松電子材料有限公司という半導体用材料の「シリコンウエーハ」を製造販売している会社の営業を担当しています。 「シリコンウエーハ」と言っても馴染みの薄い言葉かもしれませんが、一口で言うと、コンピュータ等に搭載されているIC(集積回路)のベースとなるシリコン単結晶基板のことで、パッケージされたICチップは携帯電話やデジタル家電等至る所で使用されています。

当社は、台湾企業との合弁で1995年に設立され、1999年から台湾での生産を開始しました。 私は生産開始当初から営業の責任者として7年以上台湾に駐在し、台湾のお客様はもとより、中国、東南アジア、日本、欧米の全世界のお客様に販売を行っています。

 今後シリコンウエーハの台湾ビジネスはどのように展開されていくとお考えでしょうか。


台湾は国がエレクトロニクス等の先端産業を積極的に支援しており、世界で有数の半導体ファンダリー(受託製造会社)やDRAM(半導体の一種)生産会社が台湾で巨額の投資を行っているので、その材料となるシリコンウエーハの需要はまだまだ伸びる余地があります。
また、シリコンウエーハは現在直径が200mmの商品が主流ですが、直径300mmの大口径ウエーハが将来主流になるので、新しい需要に対応する為当社も数百億円をかけて、新工場を台湾の中部(雲林県)に建設中です。

 台湾に赴任する前にヨーロッパに駐在されたそうですが、そこでの経験をお聞かせください。

私は1978年に小松製作所(現コマツ)に入社し、長く建設機械のビジネスに携わって来ました。 最初の赴任地は島根県で5年間建設機械(建機)のセールスをやりました。 建機のセールスは建設会社に建設機械を販売するわけですが、一般の家庭や都会のオフィスを訪問するのではなく、山奥の砕石現場や農地の開墾現場などに長靴を履いて訪問し、売り歩くような仕事です。 工事現場の飯場ではコップ酒を酌み交わしながら、現場監督やオペレータと商談する文字通り泥臭い仕事ですが、貴重な経験が出来たと思います。 

島根県には大学を卒業したばかりでいきなり配属され、右も左も分からない中、ひょんなことから島根県三田会の皆さんと知り合いになり、以後5年間すっかりお世話になりました。 そのとき初めて慶応三田会の結束の強さを実感しました。


その後、会社より指名を受けフランス語習得の為、1年間フランスに留学しました。この留学期間中に駐在研修として、アフリカのカメルーン(サッカーで有名な)等にもしばらく滞在し、ジャングルの奥地で稼動するブルドーザを点検して回るなど、世界の大きさを体験することが出来ました。

前置きが長くなりましたが、ヨーロッパへはフランス語留学の実績が買われて、約3年間家族とともにベルギー(フランス語圏)に駐在しました。 当時は長女が4歳、次女が1歳と小さかったので、現地の幼稚園に行かせましたが、数ヶ月で友達とフランス語で喧嘩するくらい上達し、子供の語学能力には感心させられました。 もっとも、日本に帰国して数ヶ月で殆どフランス語を忘れてしまったようです。

ヨーロッパでは、最初は北欧3国、後半はイタリアを担当し、毎月担当国を営業として回っていました。ヨーロッパと言ってもお客様は建設会社や砕石業者等ですから、髪の毛や肌の色は変わっても、島根県のお客様と基本的には変わらないので、日本の経験が随分役立ちました。

 台湾に赴任されてからお仕事や生活上で何か戸惑ったり苦労されたことはございましたか?

台湾はとても親日的で日本人に優しく、食生活も日本料理はあり、大変住み心地の良い国だと思います。 特に、台湾に来た当初は、出来るだけ台湾の人達と交流を深めようと思い、休日は台湾人のゴルフサークルやテニスサークルに積極的に参加しましたが、非常に親切にしてもらいました。その意味では、言葉の問題(中国語)以外は生活上であまり苦労を感じたことはありません。

仕事の上で苦労したことを敢えてあげれば、新人の営業担当者が簡単に辞めていったことで、せっかく教育し一人前に育てても、すぐに条件の良い会社に移って行ったことです。 日本人は終身雇用的な感覚が今でも残っていますが、台湾の若い人達は、欧米並みのドライさを持っているような気がします。そういえば、台湾では日本の財閥系のような大会社はなく、台湾人は出来れば小さな会社でも自分が「老板(社長)」になりたいと常々考えていると友人に聞きましたが、自分が台湾の人と一緒に仕事をして見て、なるほどと思いました。


 日々台湾の生活をどのように楽しんでいらっしゃいますか。

単身赴任の為、なにもやることなければ、休みの日もともすれば仕事になってしまうので、「OnとOff」のメリハリを付けようと、休みの日は出来るだけ朝早くおきて仕事以外の趣味を楽しみました。 ゴルフもそうですが、特にテニスは高校時代からやっているので、台湾でも地元のテニスサークルに入って、早朝テニスを楽しんでいます。

また、台湾で始めたスポーツ?でダイビングがあります。 たまたま、会社の同僚がダイビングの免許を持っていて、誘われたのがきっかけで、台湾でライセンスを取得し、すっかりはまってしまいました。 台湾には良いダイビングスポットが多くありますが、特に「緑島」と「墾丁」がお勧めです。 ダイビングはテニスやゴルフと違い自然と触れ合うスポーツです。 海の中で、優雅に綺麗な魚を見ながらの水中遊泳は本当にリラックスできるひと時です。 台湾の海は沖縄に劣らず透明度が高く、熱帯魚の種類も豊富ですので、一度体験ダイビングでも試されては如何でしょうか。


ダイビング仲間と(墾丁にて)    ダイビング風景(本人) 自分の水中カメラで撮った鮫の写真(パラオにて)


 日本人が台湾の人達から学んでいくべきことは何だとお感じでしょうか。

台湾の人々の生活を見ていて感心することは、家族を大切にし、特にご両親を非常に敬っている点です。 日曜日はおじいちゃんやおばあちゃんと家族そろって食事をしている光景を良く見かけます。 共稼ぎが多いせいもあるのでしょうが、台湾人の男性は会社の帰宅も比較的早いですね。(当社でも遅くまで残業をしているのは、単身赴任の日本人ぐらいです。) 家族一緒の時間を非常に大切にしているのだと思います。

また、兵役制度のせいかもしれませんが、台湾人は愛国心が日本人より強い気がします。 日本は戦後60年が経ち、平和慣れを起こしていますが、台湾は中国大陸との緊張関係が続いていることもあり、政治への関心が高く、母国を思う気持ちが強いのではないでしょうか。

 大学時代の思い出について、どのような学生生活を送られましたか。

高校時代(兵庫県立神戸高校)はテニス漬けでインターハイにも出場しました。大学ではもっと広くいろいろな経験がしたいと思い、体育会テニス部には入らず同好会のテニス部で趣味程度に楽しもうと思っていたのですが、いつの間にか同好会のキャプテンに祭り上げられ、テニス中心の生活となってしまいました。 ゼミは商学部マーケティングの片岡ゼミでした。 ユニークな先輩、同級生が多く今でも付き合っています。


 愛読書、座右の銘などはございますか。

本は好きで「ハウ・ツー(How To)」物も含め何でも読みますが、趣味のゴルフ関係で好きな著者は「中部銀次郎」です。 中部銀次郎氏はプロも一目置く、アマチュア中のアマチュアで過去アマチュアトーナメントを総なめにした腕前で、現在では伝説的な人物になっています。 彼が、生前ゴルフに関して残した言葉が今や名言として多くのゴルファーに感銘を与えていますが、私はゴルフプレーの前日に、なかなか寝付けないときなど、彼の著書をよく読み返しては自戒しています。 中部銀次郎の言葉で特に私が好きな言葉は「ゴルフはアドレスに始まって、アドレスに終わる。」です。 ゴルフの末節の技術論ばかり囚われえていた私には衝撃的な言葉で、彼に言わせればゴルフはアドレスが全てだと言うのです。 また、精神面で戒めとなった言葉は「一打に感謝する気持ちがあるか。」です。 これは、ミスして当たり前の素人が大叩きしても腹を立てるな(生意気だ)という意味で、非常に示唆に富んだ言葉だと思います。 また、どの分野でも一流になるような人の言葉は、ビジネスに置き換えても充分通じるものがあり、仕事で壁にぶつかったときなどに思い出すようにしています。

台湾人ゴルフクラブ(北友隊)メンバーとの記念撮影 台湾三田会懇親ゴルフコンペ表彰(三三会にて)

今後の台湾三田会の発展の仕方について何か一言お願いします。


台湾三田会は、台湾人と日本人が一体となって活動している海外の三田会の中でもユニークな存在と聞いています。 私も、海外に暮らした経験から、「郷に入っては、郷に従え」で、出来る限り地元の方と交流し、文化や慣習を学ぶべきと考えており、その意味で台湾の方々とお付き合いの出来る台湾三田会は非常に貴重な交流の場と思います。 特に、この数年「三三会」の月例開催や、台湾三田会のホームページの立上げなど、台湾三田会が初めて台湾に来た方でもすぐに情報の得られる身近な存在になって大変良いことだと思います。 会長を始め取り纏めをされる事務局の方は大変でしょうが、現在の運営を今後とも続けて頂くと共に、昨年実施した「小川理子さんのジャズコンサート」などのイベントを機会があれば企画して頂きたいと存じます。

最後になりますが、来月4月1日付で転勤の辞令が出まして、4月中旬に日本に帰国することになりました。 この、HPの原稿の紙面をお借りして、お世話になった台湾三田会の皆様に心より御礼を申し上げたいと思います。 慶早戦ゴルフ大会やプライベートのゴルフ、また楽しい宴会などを通じて、ともすれば味気のない台湾での単身赴任生活がとても充実した楽しい思い出で一杯となりました。 一足お先に日本に帰国致しますが、日本で台湾三田会OB会が開けるようお待ちしております。

長い間本当にお世話になり有難うございました。


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Profile




   1954年神戸生まれ。高校まで神戸で育つ。
    1978年慶應義塾大学商学部卒業。 
  大学時代は片岡ゼミナール、TLAテニス同好会に所属

    同年 鰹ャ松製作所に入社、島根支店に配属される。 
  1984年フランス語研修を経て、1991年ベルギー駐在。 
  1996年小松電子金属(株)に転籍、現在に至る。





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