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年間行事

【イベント報告】小室正紀名誉教授特別講演会 兼 2017年度総會・忘年會
揭載年月日:2017/12/20

台湾三田會 會員各位

12月2日、台北國賓大飯店(The Ambassador Taipei)にて、民国106年度(2017年度)台湾三田会総会ならびに忘年会を開催いたしました。

 

清家前塾長をお迎えした昨年に引き続き、今年は慶應義塾大学名誉教授・元経済学部長・元経済学研究科委員長・元慶應義塾福澤研究センター

所長の小室正紀先生をお迎えして、総会の前に「福澤諭吉晩年の思い:台湾関係論説を読む前に」と題して、ご講演いただきました。学部から博士

課程に至るまで、小室先生の学恩を受けた教え子である当会副会長の小佐野弾(07経、09経修)による講演者紹介に続いてのご講演では、日本

経済思想史研究の大家である小室先生ならではの視点で、晩年の福澤諭吉先生の様相と、その植民統治論との関わりについて、非常に興味深い

お話をいただきました。

 

塾祖・福澤諭吉先生は、「征韓論」や、「時事新報」への社説や諸論によって、苛烈かつ暴力的な植民地主義者であると誤解されがちです。とりわけ、

日清戦役に基づく台湾統治に関しては、台湾を未開な蛮族の蔓延る地と決めつけた上で、兵力による鎮定を主張している明治30年代の「時事新報」

社説などによって、当地・台湾においては、福澤の啓蒙思想と近代化論は高く評価されつつも、こうした植民統治論に関しては批判にさらされてきました。

 

一方日清戦役と下関条約によって日本が台湾を割譲されたのは1895年ですが、これは福澤の死の6年前にあたり、まさしくこの時期は福澤の「最晩年」

でした。あれほどまでに高邁な、不朽の開明的啓蒙思想家である福澤が、晩年に至ってなぜこれほどまでに暴力的かつ苛烈な植民統治論を唱えるに至

ったのか。これは長年にわたって思想史上のひとつの研究課題でもありました。

 

小室先生によれば、晩年の福澤先生は、自らが理想として描いた、一身独立した個人による、普遍的自由に基づく市民社会とはかけ離れつつある日本の

姿に、大きな失望や失意を感じており、それについて多くの書簡や漢詩を遺されています。

 

今回のご講演においては、晩年の福澤先生が、その失意の中で意欲を失いつつあり、「時事新報」の社説や諸論説に関しても、その筆致などからして、すでに

福澤先生ご本人による執筆ではない可能性が高い、という仮説が呈されました。その上で、今後詳細な検証が待たれるが、福澤先生の植民統治論とりわけ台

湾への苛烈な態度については、晩年の福澤先生の動向や、その失意や失望の様相についても思いを致し、「果たしてこれが本当に福澤の書いたものなのか」

という疑いを持ちつつ紐解かなければならない、という警句が発せられました。

 

慶應義塾福澤研究センターの所長を長年努められ、日本経済思想史学会の創設者でもある小室先生は、世界における福澤諭吉研究の第一人者でもあり、福

澤関連の著作を多く著されています。

 

台湾三田会は、300名を超える会員のうち、200名強を台湾人会員が占めています。そうした台湾人会員の多くは、大学あるいは大学院、そして日本語別科にお

いて義塾で学んだ方々であり、その限られた留学年限のなかで、慶應義塾の文化や塾祖・福澤先生の思想に触れる機会がなかなか得られなかった、という方も

多くおられます。また、日本人会員においても、学部によっては福澤先生の思想に触れる機会は乏しかった方も少なくありません。こうした方々にとって、今回のご

講演は、「母校・慶應義塾を知る」うえで大きな感銘を与え、ことさら貴重な機会となりました。

 

 

ご講演のあとは、総会の開会に先立ち、今回特別にお招きした慶應義塾應援指導部の三名による指揮で、塾歌斉唱がなされました。

 

日頃、台湾三田会の諸行事においては、開会後すぐにお酒を嗜むことが多いため、応援歌「若き血」の斉唱がなされてきました。しかし、今年に関しては、「母校・慶

義塾を知る」というテーマのもと、現役應援指導部の三名をお招きしていることから、台湾三田会においては初めての塾歌斉唱を挙行することと相成りました。應援

導部主将・羽鳥君メイン指揮による塾歌斉唱は、台湾人会員はもちろんのこと、長らく塾歌を歌う機会がなかった日本人会員にとっても、万感胸に迫るものがありました。

 

塾歌斉唱につづいて、当会会長・葉添信君(80工研)による開会宣言によって、総会が開会しました。まず、当会副会長の土井康平君(84商)によって、民国106年度

の会務報告がなされ、106年度の諸行事の報告ならびに会計報告に続き、2年間の任期を終える葉添信君の会長退任と、新会長・林華明君(84文、86KBS)の就任、

そして107年度新幹事体制案について発表され、満場一致で承認されました。

 

その後、来賓である台湾早稲田校友会の林滄智会長、台北稲門会の根本宏児会長、ならびに本年連合三田会に新設三田会として登録された、日本における台湾三

田会OBOG組織「三台会」(日本台湾交流三田会)会長の和田滋君よりご挨拶いだだきました。

 

来賓による大変和やかなスピーチを拝聴後、台湾三田会元会長・陳田柏君の乾杯の発声で、忘年会が開会となりました。

 

今回は、特別ゲストとして、元ザ・タイガースのドラムスとして日本の芸能界で大きな人気を誇り、引退後は長年に渡って慶應義塾高等学校の中国語・漢文の教諭を勤

られた人見豊(瞳みのる)先生が参席されており、人見先生からは12月16日に台北・西門にて開催される「瞳みのると22世紀バンド」のライブの告知がなされました。

 

その後は、今回の総会・忘年会におけるメインイベント、現役應援指導部三名(主将・羽鳥君以下、4年・星野君、3年・笹原君)による応援パフォーマンスです!

 

今年、発表から90年という節目を迎えた我らが誇る名応援歌「若き血」に始まり、三田の山の母校を永遠に称える名曲「慶應讃歌」、そして今年の義塾体育会野球部の

6大学野球秋季リーグ優勝を祝っての「丘の上」斉唱。その後は、神宮球場の応援席のあの熱を思い出させる「突撃のテーマ」、「ダッシュケイオウ」と、会員一同塾生

時代を思い出しながら、肩を組んで大いに盛り上がりました!

 

3年・笹原君の軽妙洒脱なマイクパフォーマンスと、主将・羽鳥君と4年・星野君による一糸乱れぬパフォーマンスは、遠く台湾にあっても、母校・慶應義塾への尽きせぬ

愛が常に胸中にあることを、会員一同に思い起こさせてくれるものでした。

 

パフォーマンス後には、台湾三田会元会長・林明成君より、應援指導部の三名への記念品の贈呈が行われました。林明成君からは、「卒業して40年以上になるが、こう

して應援指導部による応援歌のパフォーマンスを見て、母校への思いに感極まり、涙が出た」との温かい言葉があり、会員一同大きな感動に包まれました。

 

最後に、改めて應援指導部の三名による「若き血」の指揮・斉唱と、エール交換が行われました。「フレー!フレー!慶應」に続く、「フレー!フレー!台湾」のエール、そして

その後の万雷の拍手によって、民国106年度台湾三田会総会・忘年会は、大盛会のうちにお開きとなりました。

 

大変ご多忙な中、遠く台湾までご足労下さった、小室先生ならびに慶應義塾應援指導部の羽鳥君、星野君、笹原君に、改めて御礼申し上げます。

 

母校・慶應義塾と塾祖・福澤諭吉先生への熱い思いと愛に燃えた、忘れがたい1日となりました。

 

 

文責:小佐野弾(07経、09経修士)

 

参加者全員で記念撮影

小室先生へ記念品贈呈

葉会長開会挨拶と土井副会長活動報告

校友会林会長と稲門会根本会長挨拶

林明成元会長挨拶

陳田柏元会長乾杯瞳みのる]さんライブ告知

黄茂雄元会長叙勲記念品贈呈新旧会長、総幹事引継

 

 

 

 

 

 

 

 

当日の様子はこちらから

 

文責:1991年理工院 河原 暢郎